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■むかし話リスト
第一回「袖かけの松」
第二回「龍宮さまと大蛇」

市川のむかし話
 ―第一回「袖かけの松」―



 昭和二十五年頃のことです。
 海岸にそって、東西にはしる千葉街道と垂直にまじわる南北の道が、ひろげられることになりました。
 この道は本八幡駅から北に向かって、ちょうどくしだんごの竹ぐしのように、八幡町のどまん中をつっきって、台地を宮久保から大柏の方へのびていくのです。

 大柏といえば、その頃、市川市に編入されたばかりでした。
 市の職員は、道をひろげる計画がたつと、宮久保をかけずりまわりました。というのは、ここの人たちは、道をひろげるのにじゃまになる『袖かけの松』を切るのをいやがったからです。
 けれども、職員はみんなを集めては、道路のたいせつなことを説明して、「うん」といわせてしまいました。
 さっそく道路工事は始められました。宮久保の何人かは、仕事にかり出されました。もちろん、ほかからも工事人夫がやとわれてやってきました。
 工事は計画にしたがってどんどん進み、宮久保の坂は、上の方も、下の方もけずられ、掘り取られていきました。
 土は、馬車で行徳の海岸べりまで運ばれて、低い土地の埋め立て使われます。だから、海べに行くまでの道には、丸っこい、おまんじゅうみたいな馬のふんが、ぽこん、ぽこんと落ちていることもありました。

 とうとう、『袖かけの松』を切るところまできてしまいました。けれども、だあれも手をつけようとはしません。
「おら、やだ。なんだか手つけんの、おっかねえが。」
「うん、なんか、たたりがあるみたいな気がしてなんねえ。」
 みんなは、松の大きさよりも、白幡神社の境内から、坂におっかぶさるようにはえている『袖かけの松』の霊気におそれを感じているようでした。
「そうさなあ、木びきのおやじさんなら、何とかできるかもしれんな。」
「おお、そだ、そだ。」
「木びきのおやじさんにたのむべや。あのおやじさんなら、どんな木だって、うまくしまつしちまうさ。」
 みんなが口ぐちに話にもちだした木びきのおやじさんは、このあたりでは、うでのいい木こりでとおっていました。
 工事かんとくは、木びきのおやじさんの所へ行ってたのみこみました。
 頭をさげて、ていねいにたのむ工事かんとくを見て、おやじさんは考えこんでしまいました。もちろん「袖かけの松』の話は知っています。
 その話とは――


  むかしから、宮久保の坂道は、大きな木が両側からかぶさるようにしげっていて、太陽をさえぎっていました。だから、昼間でも、じめじめとうす暗かったのです。
 坂上から松戸にかけて住んでいた人びとは、八幡さまのお祭りなんかに行こうと思うと、かならずこの坂道を通らなければなりませんでした。前の晩からかみをゆい、朝早くからきちんとした着物に着がえて出かけたのですが、宮久保の坂道は、田んぼよりもひどいどろんこ道で、ひざのあたりまでズブリとはいるほどでした。
 坂道にさしかかると、げたをぬいで、しりをはしょっておりてきます。
「おい、ころぶなよ。」
「げたは、つつみに入れたか。よくふみしめておりるんだよ。」
 と用心しながらおりるのですが、それでも、
「あっ、ああっ。」
 と、すべってころぶ者もいました。
 ところが、この坂道でころぶと、近いうちに災難があるといううわさがたちました。
 そのうちに、ころんだら、着ているものの片袖をちぎって松にかけると、災難がこないともいわれるようになったのです。
 ですから、松にかけられた袖は、一枚、また一枚とふえていきました。こんなことからこの松を、いつのまにか『袖かけの松』というようになったということです。

 おやじさんは、若い頃に、松の枝にたくさんの袖がかかっているのを見たことがあります。ちょうど、五月のこいのぼりのふき流しみたいでしたし、中には、花よめの衣しょうの袖が風になびいていることもありました。
 けれども、今では、人びとがすべらないようにじゃりがしかれているし、もしころんでも、洋服の者がふえたし、迷信だということで、袖をかける人がいなくなっていました。
 おやじさんは、正直いって『袖かけの松』を切るのはいやでした。けれども切らねばなりません。切らなければ、道路をひろげることができないからです。
 いよいよ切ることなったとき、うわさは宮久保だけでなく。市川じゅうにひろまりました。
「何か、たたりがなきゃいいがなあ。」
「白幡神社の松だもんな。春日神社の木を切るときだって、たいへんだったというぞ。切ろうとして木にのぼった人が、動けなくなってしまって、やっとこさ、かごでおろしたっていうからな。」
 人びとは、ひそひそと話していました。


 おやじさんは、切るだんになって、あらためて松を見にいきました。
 道路工事は、かなり進んでいました。両がわのけずり取られたがけには、関東ローム層の土が、茶色のこいうすいの横しまになって見えています。ところが、『袖かけの松』のところだけは、山すそがそのまんま残っていて、枯れた下草が、ちょぼちょぼはえています。『袖かけの松』は、幹が太くて、二人でも手がまわらないくらいです。それが、まがりくねっていて、ちょうど大きなへびがわたっていくような形で、むこう側のがけの方にのびています。枝もくねっていて、木のてっぺんのどこか、見当もつきません。松の皮は、厚ぼったく重なっていて、うろこのようなわれ方をしています。

 こんなに大きくなってしまった木は、枝一本切ったって、家の屋根にかぶってしまうほどの大きさがあります。枝一本だけでも、まきにすれば、馬車一台はまにあいそうもありません。だから、切るとなれば、いろいろと手順を決める必要があります。
 まず、じゃまになる枝を切り落とし、その枝を下で手頃な長さに切ってたばねます。
 幹を切りたおすときには、人家や畑が近くにあるここでは、太いロープを幹に結びつけて力のある男たちがひっぱりながら、用心してたおさなければなりません。
 太いロープを持った、いせいのいい若者が幹をのぼり始めました。ところが、どまん中までいったところで、
「わあっ、おっかねえ。」
 とひめいをあげると、幹にしがみついてしまったのです。
「何じゃ、こしぬけめ。」
 おやじさんはどなりつけましたが、
「けどもよう、耳がゴーゴーなって、どうしようもねえ。」
 と、がたがたふるえています。
 下でロープが投げおろされるのを待っていた男が
「やっぱり、やめんべや。」
 と、ふるえ声を出しました。
「なにいってるんだ。」
 おやじさんは、しかりつけるようにいってはみましたが、身動きのできなくなった若者を、そのままにしておけません。ようやくおろして、次の者がのぼりました。けれどもやっぱり耳なりがして、おっかないとなき声をあげるしまつです。

 しかたがないので、ロープをわなげのようにしてひっかけ、四方八方からぴんとひっぱりました。
 いよいよおやじさんの出番になりました。
 コーン。
 最初の一げきがひびきました。
 ガッツ、ガッツ。おやじさんは何も考えないようにして、けんめいにまさかりを打ちこみました。
 松の木の、さすようなにおいが、あたり一面にひろがりました。まさかりのはが当たったところは松の皮がくだけ、打ちこむたびに、とうめいなやにがとび散りました。
 ガッツ、ガッツ。
 やがて、赤白っぽい木はだがあらわれてきました。
 とつぜん、メリッ、メリメリッと大きな音がしたかと思うと、松は自分で歩くように動き始めました。おやじさんが打ちこんでいた反対側が、さけるようにして折れたのでした。

「うわあっ、ああ。」
 ロープをささえていた二、三人が前のめりになると、ぴんと張りきっていたロープがゆるんで、男たちは、はたきつけられるようにして、はいつくばったのです。
 ほかの者は、けんめいにこらえましたが、ロープは次つぎにひきちぎられて、ちゅうをとびました。
「うわあい。」
「きゃあ。」
 しりもちをつく者、引きずられる者、へこんだ土の中にのめりこむ者など、もう大さわぎです。
 松は根元の方が、一たんは切り口からドッシーンと下に落ちて、ズズズーンと坂をおり始めましたが、すぐに向きをかえると、向かい側のがけに向かって、ドオーッとたおれたのです。
 そのありさまは、巨大な大蛇がもだえ苦しみ、のたうちまわるようでした。
 松は、がけの土をえぐり取り、土をはねちらかして、やっと止まったのです。


 木びきのおやじさんをはじめ、男たちは、なだれのあとのような坂やがけを、あきれかえって見つめました。松の枝や葉っぱが散らばり、土のにおいと松のにおいでむせかえるようでした。
「たいへんなことになった。」
「おめえ。そんなに血が出とるが、どこかけがしたんでねえかよ。」
「なあに、かすりきずだよ、たいしたこたねえや。けどもよう、おっそろしいことだ。」
「おったまげたなあ。木がよう、自分から動きだしたもんな。」
「それにしてもよう、坂の下まで落ちんでよかった。」
 みんなは、おそろしさを口ぐちにいい合っていました。
「あれ、あのさわぎは何だ。」
 松がたおれたがけの上で、何やら大声でわめく声がします。
「とにかく行ってみよう。」
 みんなは、足ばの悪いがけを、やっとの思いでのぼっていきました。

 見ると、松の枝に何やら赤いきれがひっかかっています。松にかけられた袖でしょうか。でも、それは昔の話です。それに、たった今、切るときにはなかったはずです。
 不思議に思いながら、赤いものがかかっているところまでたどりついた先頭の者は、
「ああ、あっ。」
 といったきり、口がきけなくなってしまいました。
 赤い布と見たのは、子どもの着物だったのです。あとからたどりついた木びきのおやじさんは、枝の下じきになっている子どもを引きずりだしました。そして、だきあげましたが、すぐにへたへたとすわりこんでしまいました。
 松のやにと、子どもの血と、その上に土でよごれたおやじさんの顔は、見るものをふるえあがらせました。
 この日、女の子は、向かい側のがけの上で遊んでいましたが、がけの方でさわぐ声が聞こえたので、走って見に行きました。ちょうどそのときに、もんどりうって向きをかえる、『袖かけの松』の枝に袖をひっかけられ、そのまま引きずられ、はずみでとばされ、地面に落ちたところを、枝がかぶさって、下じきになったのでした。
 女の子は、あと一か月で一年生になるはずでした。家族のなげきはいうまでもありません。新しいランドセル、新しい文房具なども用意してあったということです。

 このことがあってから、木びきのおやじさんは、ふぬけになってしまいました。人が何をいっても返事をしません。毎日寝こんでいて、たまに起きだしても、よろよろしています。やせ細って、ほほ骨がつきでた顔は、目ばかりぎょろぎょろと光っていました。
 おやじさんのふぬけは、三年でなおりました。おやじさんは市役所にたのみこんで、女の子が入学することになっていた小学校の用務員さんにしてもらったのです。
 おやじさんは、がっしりとしたからだを前にかがめるようにして、毎日毎日身を粉にして働きました。おやじさんは、お地蔵さまのようなやさしい目で子どもを見守りました。おやじさんは、子どもたちのために、死ぬまで働くのだとがんばっていました。
出典:市川民話の会編『市川のむかし話』(1980 市川民話の会)より
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